僕はいままで私人について書いたことがありません。あるいは公人であれ公表、公開したほうが読んだ方が、広義な論調(僕の思いを勝手に書いているだけですが)から、その事象についてご自分なりの考えを導きだしていただければそれで良いと考えております。賛同、逆にご批判もあるでしょう。ご自由です。
したがって政治、経済、行政のあり方の論評はしても小保方氏についてはここでは触れません。しかし……。
雁屋氏に対する批判は限度を超えていると考え書き込みました。「風評被害」のセンテンスのみで攻撃的な発言が多く新聞、TV,PSのexciteにも巧みに刷り込まれた記事がみられます。
ただ「風評被害」だ、けしからん、福島の人(どのような人たちか不明)は怒っているなどと、福島を一括りにしてしまい福島の地域性も明確にしないまま反論している様は、福島県人も含め言論誘導、あるいは大本営発表以外は事実ではないと批判する言論統制すら感じます。
(最近国はさまざまな情報メデイアに対して政府の見解と相違しているとすぐに抗議文を送りつけるとか)雁屋氏は自身もお話しているように「約2年の知見を基に作品にそれを漫画の中に投影させた」と語っています。それを信じるか、否定するかは個人、個人の思想、信条の自由の中にあるのではないでしょうか。
そして最後に申し上げたいのは今でもチェルノブイリの土地や人々の暮らしがどうなっているかです。また今回の原発事故を他国がどう検証しており資料を作成しているかに真実のヒントがあります(客観性と利害関係)。
私たちは現実イコール真実とややもすると判断してしまいますが真実は重く、深くそれを知ろうとすれば多くの時間とエネルギーが必要です。真実は知ればすべてがという訳ではありませんが事象によっては心が重く、苦しく、僕自身自分の小ささを感じてしまことばかりの今日この頃です。