作家村上春樹氏と日本テレビ

村上氏の小説「ドライブ・マイ・カー」のなかである町で車からタバコをポイ捨てするところがあり、「この町(町名が語られる)の人もやっている」との記述に当該の町(町議会等)の方々から抗議があったという。村上氏は、謝罪し、北海道は好きでよく行かれる事、またその町名の響きが好きで使用したことなどを説明し、今後他の町名(架空?)に変更します。とのコメントを発表しました。即座の対応とコメントの内容、方向性に爽快感すら感じました。

それに対して当初、「明日ママがいない」では日本テレビは大マスコミよろしく、批判に批判で答え表現の自由まで持ち出し、今後このような事で内容を変更したり、放送を中止などしたら言論、報道規制などマスコミ全体が萎縮されかねない、自由にドラマが作れなくなる等とコメントしていました。一病院が、一人が自傷行為をしたからといって、他の施設ではもっとひどいことが行われている(変更しなくても)という声もありましたがそれら番組を擁護する内容を読むとほとんどがマスコミでご飯を食べている人たちです。

村上氏は個人です。対して日本テレビ側は制作責任者のプロデュサー、ディレクター、そして何よりも脚本家の野島伸司氏も出てきません。日本テレビとしてコメントするのみです。
まるでお役所です。テレビはすでに報道の自由(本当のことを国民に知らせる取材努力と義務を放棄してませんか)、ドラマはスポンサーとプロダクションのほうばかりを見て、脚本をないがしろにしたキャステングに終止していませんか。どちらを見て番組を制作しているのでしょう。すでに我が家ではほとんどテレビを見ません。
新聞は日経です。事実関係のみの記事が多いのですが、何か、どちらかへ、意識を持っていこうとする他の新聞、テレビ報道(NHKも含め)よりマシです。

いじめ問題との相関関係

僕は現職時代、いじめ問題にも関わりましたが、本人が,ある言動、行為においていじめられたと感じたときそれはいじめだということです。一生徒対学校、教育委員会、PTAしかしこれらの組織、団体はほとんど非協力的です。理由はおおむね被害者及びご家族の心情を重んじて、そっとしてあげてほしいというものです。また調べていっても、普段は一緒にあそんでましたよ、ちょっとした悪ふざけが、ちょっとからかったことがなどなど、鼻から真摯に向き合う姿勢などありません。しかし現実は被害者のご家族は事実、そして真実を知りたがっています。教育委員会はメンツの保持、学校長はキャリア、PTAは学校の評価、評判にこだわり、加害者側は沈黙、救われないのは声を上げても聞きとめ、手を差し伸べてくれる人がいない被害者です。今回は一個人の村上氏(著名ではありますが)と大マスコミ(組織)そして一部じゃないかと言われる小さな組織(病院)個人の声を汲み取れるか、無視されようとするのか。合わせて言わせて頂ければ常に大多数の意見が正しく少数の意見は非とされる議会制民主主義の少数の意見にこそ謙虚に耳を傾ける時代がきているのではないでしょうか。

細川さん残念でした。
しかし決まった以上、舛添氏には社保庁改革にかかんに挑んだように、都庁の改革にも大きな期待を寄せています。